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花尊し

花尊し

仏壇


仏壇についての Q & A

Q 御位牌について教えて下さい。
A 御位牌とは故人の戒名を書いて仏壇に納める木の札のことをいいます。
黒い漆で塗られたものが一般的ですが、他にも金箔や蒔絵で装飾したもの、
黒檀や紫檀で作られたものなど多くの種類があります。
厳密なきまりはないので、仏壇とのバランスを考えて選べばよいのです。
また、50年以上経った御先祖様の位牌は"楼門"という
繰り出し形式の御位牌に納める場合もあります。

Q 御位牌にはどんな意味があるのでしょうか?
A 古来日本では死者の霊魂は死んだ後しばらくの間、
行場所が分からずにあたりをさまようと考えられていました。
そこでこうした霊がとどまることの出来る場所を作ったのです。
それをイツキ木、あるいは仏木とよんでいました。
仏教の伝来とともにそうした葬送習慣にも変化がみられ、
死後49日後に僧侶が引導を渡すことで死者が成仏するという仏教の考え方が加わり、
戒名を仏木〔イツキ〕に書いた物が御位牌になりました。
そのなごりは四十九目の法要まで白木の位牌を用い、成仏した後、
本来の御位牌をつくるところに現れています。

Q 一人娘が一人息子と結婚してしまい、家を離れました。
今はいいのですが、将来、自分の家の仏壇をどう守っていってもらうかが心配です。
両家の宗派が違うため、同じ仏壇に位牌を納めてもいいものかどうか。
どのように先祖の霊を奉っていったら良いかを教えてください。
A 形式はどうであれ、ご自分達が生かされているのもご先祖様のおかげである
という感謝の気持ちを持って、ひとしく供養したいものだと思います。
娘さんが嫁いだとしても、けして親娘の縁は切れるものではありません。
ましてお孫さんからすれば両家の血縁があるわけです。
妻の実家が無縁絶家になるのではあれば、見過ごすわけにはいかないと思います。
もとよりそうなるとわかった上で婚姻をなさったのですから、
人によってはひとつの家でひとつの仏壇ひとつの宗派と言われる方もいらっしゃるようですが、
それではこのような問題は解決になりません。
片方の家の位牌がいくつもあるようでしたら、先祖代々之霊としてひとつにまとめ、
ひとかたひとかたは過去帳にする又は回出位牌(くりだしいはい)にするなどして
一緒に供養されればよろしいかと思います。
お経が違うなどありますが、宗派によっては位牌を作らない場合もあり、又、
仏のもとではすべて仏の子であるなど、あるいは宗派の違いはあれど
元は同じであるなどを考慮すれば、形式はどうであれ、
ご自分達が生かされているのもご先祖様のおかげであるという感謝の気持ちを持って、
ひとしく供養したいものだと思います。

Q 主人と二人暮しで身内もいません。二人が亡くなり無縁ぼとけになるのは分かるが、
仏壇に置いてある位牌はどうなってしまうのか?
A お寺さんと付き合いがあれば、お焚き上げを頼まれたら良いかと思います。
お付き合いがないようであれば、葬儀社でもお手伝いさせていただきます。
ただ、ご本人が亡くなられた時のことを考え、遺言を残しておく、又
ご友人、お住まいの地域の民生委員に依頼しておくなど考えられます。
葬儀社と生前に打合せはできますが、もしもの時に打ち合わせの担当者、もしくは
葬儀社にどなたが連絡してくれるのかは、決めておかれた方が良いでしょう。

Q 家族に死亡した人がいないのですが、そういう場合は
御位牌を安置していない御仏壇をおまつりしてもよいのでしょうか?
A 御仏壇は御位牌を安置し先祖を供養する場所であると考えられていますが、
本来はご本尊をおまつりして仏様に祈りをささげる場所なのです。
したがって御位牌のないお宅でも御仏壇を用意されるのはよいことなのです。

Q 妻の両親の位牌を、一緒におまつりしてもいいのでしょうか?
A 最近は核家族少子化が進み、先祖代々続いてきた家を長男が継ぐという意識が希薄になり、
会ったことも無い先祖よりも、身近な家族を大切にしようという考え方になっています。
以前は考えられないことでしたが、結婚した女性が自分の両親の位牌を近くに置いておきたい、
と考えるのも当然で、男女平等の現代では、夫婦お互いの両親の位牌をまつることは好ましいといえます。
妻の家の位牌を、夫の家の仏壇の中にそのまま安置する場合、夫婦それぞれの実家の宗派が異なって、
他の宗派の本尊のもとに間借りするような形になっても、仏教の求めるところはひとつですから、
良いでしょう。
妻が女性だけの姉妹の長女であったり、一人っ子であったりした場合で、実家の先祖供養を
継承する場合は、ひとつの仏壇に両方の宗派の本尊を置くことはできませんし、
家に二つの仏壇を置くことも、あまり現実的でありません。
やはり夫の家の仏壇に、本尊はそのままで安置してもらうしかないというのが現実のようです。
ただ、お墓や檀那寺の問題とも関わるのですが、自分の子供の世代になったときに、
子供たちが、父方と母方の違う場所にある二つのお墓や檀那寺で供養を続けていくのは大変なことです。
どちらかの家の供養がおろそかになってしまうことも考えられます。
そのようなことを考えたときに、自分たちが元気なうちに、どちらか一方の宗派に改宗し、
お墓を同じ墓地に移すといったことも考えたほうがいいのかもしれません。
最近では両家のお墓をひとつにすることも行われているようです。
そうすれば、本尊も同じになりますので、気持ちよく同じ仏壇におまつりすることができるでしょう。

永代供養墓での宗教や宗派についての考え方(例)
・宗教・宗派をいっさい問わないのは、霊園墓所で、永代管理に重点がある。
・宗教・宗派は問わないが、その寺の宗派の法要儀式を受容することを条件とする。
・以前の宗派は問わないが、申し込み後はその寺の宗派に帰依する事を条件とする。
・以前の宗派は問わないが、その寺の檀家ないしは準檀家になることを条件とする。

Q 転勤が多いので、コンパクトな仏壇が欲しい
A 仏壇のデザインは宗派によって厳格に異なっていましたが、
仏壇に位牌を納め手を合わせたいという気持ちは引き継がれても、
転勤の借家住まいや、家を新築しても仏間は無く、全室洋間で仏壇にふさわしい場所がないとか、
逆に洋間に置いても違和感のない仏壇がほしい、というニーズも有ります。
これらの要求を満たすような仏壇も登場しており、ライフスタイルにあった仏壇を選べます。
また、仏壇の形はしていなくとも、インテリア感覚で故人を偲ぶためのオブジェもあります。

Q 浄土真宗では仏壇にお茶やお水をお供えしないのはどうしてですか。
A 浄土真宗はお供えするのは御仏飯だけです。
故人の年回法要や親鸞聖人報恩講法要、正月、彼岸・お盆といった行事には、
お餅や菓子・果物をお供えしますが、毎日のお供えは御仏飯だけです。
そしてお仏壇でのお参りを終えますと阿弥陀様からの「おさがり」として御仏飯をいただきます。
亡くなられた者はノドが渇いているからお茶やお水をお供えしてあげないと
といった想いからお供えをすると思います。
末期の水という言葉があります。
人の臨終に際してクチビルを湿す水のことですが確かに臨終の危篤状態が長く続けば、
食事や水をとることが出来ませんのでクチビルも乾きます。
見守る者の心情として最後に水の一滴でも飲ませてあげたいという気持ちは分かりますが、
それは臨終に際してのことです。

Q 通夜や葬儀の時は仏壇の扉を閉じなければならないって本当でしょうか。
A 仏壇の扉は通夜や葬儀・年忌などの法事のおりはもちろん毎日開けておくものです。
神道では死をケガレと考え、家族が亡くなりますと神体を死から遠ざけるために
半紙などで目隠しの張り紙をしたり、神棚の扉を閉じるのです。
仏壇を神棚と同じように考えることはありません。
死をケガレとする考えは死者を冒涜することになります。

Q 死んだ者もいないのに仏壇を買ったりすると死者が出るって本当でしょうか。
A 仏壇を買うと死者が出ます。しかし買わなくても出ます。
仏壇はご先祖や死者を祀る場所という勘違いがあるようです。
だから亡くなった者がいなければ仏壇を家に置く必要はないし、
死者もいないのに仏壇を買うと誰かが早く死ぬと考えてしまうのです。
仏壇は御本尊を安置する場所です。
浄土真宗であれば阿弥陀如来のはたらきを顕わした御絵像や御木像
あるいは南無阿弥陀仏の御名号を書いた軸を安置する場所が仏壇なのです。

Q お仏壇を買ったら御本尊がサービスで付いてきました。
そんな市販の御本尊でも良いのでしょうか。
A 仏具を大事にし、宗教・宗派を大切にする仏具店・仏壇店は、
決してサービスで御本尊を付けるようなことはしません。
何故なら、お仏壇は御本尊がいのち、一番大切なのは御本尊なのです。
お仏壇は御本尊を安置する場所、そしてその御本尊には由来・おいわれがあるのです。
由来・おいわれに合致した御本尊であれば問題ありませんが、
市販の御本尊のほとんどはそのようなことを無視したものです。
一生に一度ぐらいしかお迎えできない御本尊は本山から頂くのが安心です。

Q お仏壇やお位牌を買ったらお坊さんに魂を入れてもらう?
A 霊魂のような実体的な魂をお仏壇やお位牌に入れることで、お仏壇ですと仏様の魂のことであり、
お位牌ですと亡くなった者の魂のことです。
御本尊である阿弥陀さまの魂や、亡くなった者の魂を、入れたり出したり出来る僧侶が
大勢おられるようですが、浄土真宗の僧侶にはそのようなことの出来る者はおりません。
浄土真宗ではお位牌を用いず過去帳を使います。
お仏壇を買ったときの法要は浄土真宗以外の宗派では
「開眼法要」や「お性根入れ」「お魂入れ」などと呼んでおりますが、
私たちは御本尊を新しくお迎えする法要を「入仏法要」と呼んでおります。
入仏法要の「入仏」とは新しく御本尊を家庭にお迎えいたしますといった意味です。
当然、お仏壇だけを買って御本尊がなければ入仏法要は行いません。
「お仏壇、本尊なければ、ただの箱」なのです。
逆に御本尊が安置されておれば、たとえそれがミカン箱であってもお仏壇なのです。
入仏法要は慶讃(慶びの)法要です。
今まで家庭になかった御本尊をこのたび初めて安置する。
あるいは古くなった御本尊にお礼をつけ、新たにご本山からお迎えすることは、今日から、
あるいはこれからも、心のより処・生活の中心を阿弥陀さまの智慧と慈悲にさせていただく
ということなのです。

Q お仏壇の前にあるリンはどのようなときに打つのでしょうか。
A リンは仏壇の道具の一つですが、手を合わすだけでお経を読まないときは
リンを打つ必要はありません。
チンチンと2回ほどリンを打って手を合わしている人を見かけますが、
たぶん神社の拝殿の前にぶら下がっている大きな鈴と勘違いしているのです。
神社の鈴は、神様に「今、私がお参りしております。
よく見ていて下さい。お参りしているのは私です。お賽銭もはずみました。
願い事はこれこれです。」と神様の注意を促すためにあるそうです。
神様が呑気で鈍感なのか、人間が神様を信用してないのか、なんとも困った神様と人間の関係です。
お仏壇の前のリンは神社の鈴とは違い、お経の合図としてあるのです。
通常お経の始まる前に「今からお経を読みます」の合図として2回リンを打ちます。
2回だと始まる、3回だと終わった、1回だとまだ途中、またはお念仏が終わった
ということが分かります。
浄土真宗の阿弥陀さまは私たちが願ってから動く仏様ではありません。
私たちより先に私たちに向かって願われている仏様なのです。
その願いは私たちの勝手な欲を満たすためのものではありません。
どのような状況の中にあっても私がいることに気づいて欲しいという阿弥陀さまの願いなのです。

Q 家で簡単に供養するには
A 仏壇に飾る品は、基本となるのは、お香・花・灯明です。
お線香を焚くのは、仏様に身も心も清浄にしてから近づかせていただくためで、
線香でも抹香でもよく、香炉で焚きます。
花は、仏様に花のような清浄な心で、徳を讃美し、ご本尊に向かって左側に置きます。
灯明は、仏様の知恵をあらわしている光明にあたり、浄火を燃やすという意味を持っており、
ご本尊に向かって右側に置きます。
仏壇のない方も、香炉・花立て・ローソク立ての3点をそろえれば、家で簡単に供養ができます。
線香も煙の少ないものや、香りが自然なものが出ています。
お線香をお供えすることは、香煙を通じて仏様とお話するなどといわれております。
仏前での御焼香は仏・法・僧への帰依を意味して3回行うといわれています。
お線香も仏・法・僧にならい3本立てるのが一般的だといえるでしょう。

Q 庶民の仏教理解とは
A 生きている人間はなまじ肉体を持つ故に、有限である。
しかし霊は、その有限なるを捨てた為に、無限であり、万能になったのである。
仏教の説く『ほとけ』は、即ち覚者であり、
正覚を得た者、悟りを得た者と、無限・永遠・万能になった霊は、同列と解し、
死者・祖先の霊・そして仏教の説く『仏』この三者は同じものであるというのが、
庶民の仏教理解であり、それ故、仏檀は
1) 仏教信仰の対象として仏を礼拝して、その加護を願い、奇跡を祈る聖檀であると同時に
2) 先祖を想い感謝して加護を祈る祭檀でもあったのである。

仏檀で朝夕冥福を祈り、亡き人の霊と共に生きているという慰めの心を持ち、
先祖を意識し、より良く生きたいと言う願望を、仏教に託してきたのである。
それは現在の自分・過去の霊魂・未来の子孫、全ての者がより良く生きることへの切実な祈りであり、
焼香によって、香の煙が空中に漂い、あの世に逝った人や先祖に自分の気持ちと祈りが通じると信じ、
焼香と言う動作に心をかよわせてきたのである。


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